
「それは善いことだよ」「それはダメだよ、悪いことだよ」
私たちは、日々の生活の中で、そんなふうに“善いか悪いか”を自然に判断しながら生きています。
でも、福祉の仕事に携わるようになってから、私はその「善悪」って本当に単純に決められるものなんだろうか、とよく考えるようになりました。
誰にとっての善か、誰にとっての悪か
福祉の現場では、相手の立場に立つことがとても大切だとされています。利用者さん一人ひとりに寄り添い、それぞれの価値観や背景を理解しようと努める。でも、そこには必ず“ズレ”が生まれます。
例えば、職員が「これは本人のためになるから」と思ってやったことが、本人にとっては苦痛だったり、望んでいないことだったりすることがあります。
あるいは、ご家族と本人の思いが食い違い、どちらの意見を優先するのが“正しい”のか、悩むこともあります。
そのとき、「善悪の基準」なんて、一概に決められないと痛感します。
善悪は“絶対”じゃなく、“背景”と“対話”で見えてくる
善悪を語るときに大切なのは、その行動の「背景」と、そこに関わる人たちの「対話」だと私は思います。
例えば、約束の時間に来られなかった利用者さんがいたとして、ただ「遅刻は悪いこと」と決めつけるのではなく、
「今日は体調が悪かったのかもしれない」
「不安な気持ちが強くて外に出られなかったのかもしれない」
そんなふうに、その背景を知ろうとすることが、福祉の現場ではとても大切です。
善悪の判断は、その人の物語を知って、対話を重ねて、ようやく少しずつ見えてくるものだと、私は思っています。
法律やルールだけでは測れない“人間らしさ”
もちろん、社会には法律やルールがあります。それは最低限、みんなが安心して暮らすためのもの。でも、福祉の現場では、法律やマニュアルだけでは測れない“人間らしさ”と向き合うことが多い。
認知症の方が買い物でお金を払い忘れてしまったとき、それを「窃盗だ」と機械的に捉えるのか、
「この方が混乱してしまったのは、どういう状況だったんだろう」と考えるのか。
そこには善悪を超えた、“人としてのまなざし”が求められる気がします。
善悪を白黒つけるのではなく、グラデーションで捉える
福祉の現場は、いつも“正解のない問い”で溢れています。
「どこまでが本人の自由で、どこからが周りの配慮なのか」
「どこまでが自立支援で、どこからが過干渉になるのか」
だからこそ私は、善悪を白黒ではなく、グラデーションのように捉えることが必要だと感じています。
すぐに「これは善」「これは悪」と決めつけず、ゆっくり丁寧に、その人の気持ちや背景を理解しながら、みんなでより良い方向を探していく。
それが、福祉の現場における“善悪の定義”なんじゃないかと思うのです。
まとめ:迷いながら進むことが、福祉の「善」
最後に。
私は今でも、「本当にこれで良かったのか?」と迷うことがあります。
でも、その迷いこそが、人と人とが関わる福祉の現場において、一番大切なことなんじゃないかとも思っています。
簡単に善悪を決めつけず、常に問い続け、悩みながら、相手の声に耳を傾け続けること。
それ自体が、福祉の「善」なのかもしれません。(文/構成:田中)


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