サツマイモのお話(鹿児島市のグループホーム)

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はじめに

秋の味覚と言われるサツマイモ。
焼き芋・天ぷら・煮物・スイーツなど、甘くてほくほくとしているサツマイモはいろいろな調理法で楽しむことができる食材です。
今日10月13日は「サツマイモの日」でもあります。
ではサツマイモはどうしてサツマイモというのでしょうか。
歴史や由来などを調べてみました。

サツマイモの歴史

サツマイモはメキシコなど南米が原産地で、紀元前800年~1000年ごろにはすでに栽培が始まっていたと考えられています。
15世紀終わりごろ、探検家であるコロンブスがアメリカからヨーロッパへと持ち帰ったのですが気候が合わなくてあまり広まらず、その後アフリカやインドなど温かい地域に持ち込まれたことで、世界中に広まっていきます。
そして、スペイン人やポルトガル人によって東南アジアへ持ち込まれ東南アジアから中国へと伝わっていき、1600年ごろに中国から日本の琉球地方(沖縄県)へと伝わっていきました。
条件が厳しい土壌でもよく育つサツマイモを薩摩(鹿児島県)でも栽培しようと、薩摩藩の前田利右エ門が1705年にサツマイモを持ち帰り栽培を始めたといいます。
サツマイモは中国の呼び名で「かんしょ」といいますが、当初は同じく「かんしょ」と呼ばれたり、中国(唐)から来たものということで「唐芋(からいも)」と呼ばれていました。
薩摩に伝わったときに「サツマイモ」と呼ばれるようになったのです。
当時薩摩藩ではサツマイモを領内から持ち出すことを禁止していましたが、1700年ごろひそかに伊予(愛媛県)や対馬(長崎県離島)に持ち込まれ、栽培されていきます。
1732年の享保の大飢饉で西日本が深刻な食糧不足に陥った際、多くの人が餓死していくなか、サツマイモを栽培していた地域では餓死者が出ませんでした。
そのことからサツマイモは飢餓に強い食べ物として日本中に知られていくことになりました。
江戸時代になると、江戸幕府の儒学者で蘭学者の青木昆陽がサツマイモを普及させようと薩摩から江戸へ取り寄せたことで、東日本にも広まっていきました。
江戸に近い川越藩(埼玉県川越市)と、隣接する村(所沢市・狭山市・新座市など)ではサツマイモの栽培が盛んになり、品質が良く最高級品とされたサツマイモは「川越いも」と呼ばれるようになります。
川越から江戸までは距離があり、陸路で輸送しようとすると大変でしたが、江戸と川越は新河岸川でつながっていたので船での輸送が可能で、川越はサツマイモの大産地となっていったのです。
品質が良く、江戸への流通量が多かったことで、1830年ごろの「諸国名物番付」という書物には、川越はサツマイモの代表産地と記されていたそうです。

10月13日はなぜ「サツマイモの日」?

「サツマイモの日」は、1987年に埼玉県川越市の「川越いも友の会」が制定しました。
なぜ10月13日なのかというと、サツマイモの旬が10月であること、サツマイモの美味しさを褒める言葉に「栗よりうまい十三里」というものがあり、その言葉からとったと言われています。
「栗よりうまい十三里」の「十三里(おおよそ52km)」は江戸から川越までの距離だとされています。
川越のサツマイモはとてもおいしいということで「十三里」という異名もついたそうです。
「栗よりうまい十三里」は、「栗よりうまい川越のサツマイモ」という意味になるのです。
実はこの言葉にはもう一つ意味があり、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+4=13)」という掛詞にもなっています。

おわりに

サツマイモといえば「鹿児島」をイメージする方が大半だと思いますが、「サツマイモの日」を制定したのは意外にも埼玉県川越市でした。
しかし、鹿児島も負けず劣らずおいしいサツマイモ料理を食べることができます。
これからサツマイモがおいしい季節です。
10月13日の「サツマイモの日」に秋の味覚であるサツマイモを使った料理を作って味わってみてはいかがでしょうか。

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